「妊娠したら葉酸を摂りましょう」という言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。しかし、実は「妊娠してから」では遅いのです。葉酸が最も重要なのは、妊娠初期、特に妊娠4-6週という、多くの女性が妊娠に気づく前の時期だからです。
妊娠4-6週は、胎児の「神経管(脳と脊髄のもとになる管状の構造)」が形成される時期です。この神経管が正常に閉じるためには、活発な細胞分裂が必要で、そのためには大量の葉酸が欠かせません。もし、この時期に葉酸が不足していると、神経管が完全に閉じず、「神経管閉鎖障害(Neural Tube Defects, NTDs)」という深刻な先天異常が起こるリスクが高まります。
日本では、2000年に厚生労働省が「妊娠を計画している女性は、妊娠の1ヶ月以上前から妊娠3ヶ月まで、葉酸サプリメントを摂取すること」を推奨しました。これは、世界中の研究で、葉酸サプリメントが神経管閉鎖障害のリスクを約70%も減少させることが証明されたためです。この記事では、なぜ妊娠前から葉酸が必要なのか、神経管閉鎖障害とは何か、どのように葉酸を摂取すればよいのかを、詳しく解説します。
神経管閉鎖障害とは
神経管の形成
受精卵は、細胞分裂を繰り返しながら、「胚」へと成長します。妊娠3週目頃、胚の背中側に「神経板」という平らな組織ができます。この神経板が、両端から巻き上がって、管状になったものが「神経管」です。
神経管の形成は、以下の段階で進みます。
- 妊娠3週:神経板が形成される
- 妊娠3-4週:神経板が巻き上がり、管状になり始める
- 妊娠4週:神経管の中央部が閉じる
- 妊娠5-6週:神経管の上端(脳側)と下端(脊髄側)が完全に閉じる
この神経管が、後に「脳」と「脊髄」に発達します。
神経管閉鎖障害の種類
神経管が正常に閉じないと、以下のような障害が発生します。
| 障害名 | 発生部位 | 症状 | 頻度 |
|---|---|---|---|
| 二分脊椎 (Spina bifida) |
脊髄(下端) | 下半身の麻痺、膀胱・腸の機能障害、水頭症 | 出生1万人あたり約3-5人 |
| 無脳症 (Anencephaly) |
脳(上端) | 脳の大部分が形成されない。死産または出生後数時間〜数日で死亡 | 出生1万人あたり約1-2人 |
| 脳瘤 (Encephalocele) |
頭蓋骨 | 脳組織が頭蓋骨の外に飛び出す。知的障害、運動障害 | 出生1万人あたり約0.5-1人 |
※頻度は国や地域によって異なります。葉酸サプリメント摂取が普及している国では、頻度が低くなっています。
二分脊椎の詳細
二分脊椎には、いくつかのタイプがあります。
- 潜在性二分脊椎(Spina bifida occulta):最も軽度。脊椎の骨が完全に閉じていないが、脊髄は露出していない。多くは無症状
- 髄膜瘤(Meningocele):脊髄を覆う膜(髄膜)が背中の皮膚から飛び出す。脊髄は正常
- 脊髄髄膜瘤(Myelomeningocele):最も重度。脊髄と神経が背中の皮膚から露出する。下半身の麻痺、膀胱・腸の機能障害、水頭症を伴うことが多い
二分脊椎の子どもは、生涯にわたって医療的ケアが必要になることが多く、手術、理学療法、カテーテルによる排尿管理などが必要です。
なぜ葉酸が神経管閉鎖障害を防ぐのか
細胞分裂とDNA合成
神経管が形成される妊娠4-6週は、胎児の細胞が爆発的に増える時期です。1個の受精卵が、数百万個、数千万個の細胞へと分裂します。
細胞分裂には、DNAの複製が必要です。DNAを構成する4つの塩基(アデニン、グアニン、シトシン、チミン)のうち、「チミン」を作るためには、葉酸が絶対に必要です。
反応:
dUMP + 5,10-メチレンテトラヒドロ葉酸 → dTMP(チミジル酸)+ ジヒドロ葉酸
葉酸が不足すると、チミンが作れず、DNAの合成が遅れます。すると、細胞分裂がうまく進まず、神経管が正常に閉じなくなるのです。
メチオニンとメチル化
葉酸は、「メチオニン」というアミノ酸の合成にも必要です。メチオニンは、DNAの「メチル化(遺伝子の発現を調節する仕組み)」に関わります。
葉酸とビタミンB12が協力して、ホモシステインをメチオニンに変換します。
反応:
ホモシステイン + 5-メチルテトラヒドロ葉酸 + ビタミンB12 → メチオニン + テトラヒドロ葉酸
メチオニンは、S-アデノシルメチオニン(SAM)に変換され、DNAのメチル化に使われます。DNAのメチル化は、遺伝子のスイッチをオン・オフする重要な仕組みで、神経管の形成にも必須です。
葉酸サプリメントの効果
歴史的な研究
葉酸と神経管閉鎖障害の関係は、1980年代から研究されていました。そして、1991年、イギリスのMRC(Medical Research Council)による大規模な臨床試験で、決定的な証拠が示されました。
MRCビタミン研究(1991年):
- 対象:過去に神経管閉鎖障害の子どもを出産した女性1,817人
- 方法:妊娠前と妊娠初期に、葉酸サプリメント(4mg/日、通常の10倍の高用量)を摂取する群と、摂取しない群に分ける
- 結果:葉酸サプリメント摂取群では、神経管閉鎖障害の再発率が72%減少した
この研究により、葉酸サプリメントが神経管閉鎖障害を予防することが、科学的に証明されました。
その後の研究
MRC研究の後、世界中で同様の研究が行われ、以下のことが明らかになりました。
- 過去に神経管閉鎖障害の子どもを出産していない女性でも、葉酸サプリメントは有効である
- 高用量(4mg/日)でなくても、通常量(400μg/日、0.4mg/日)で十分な予防効果がある
- 妊娠前(少なくとも1ヶ月前)から摂取することが重要である
日本の推奨と現状
厚生労働省の通知(2000年)
2000年12月、厚生労働省は、「神経管閉鎖障害の発症リスク低減のための妊娠可能な年齢の女性等に対する葉酸の摂取に係る適切な情報提供の推進について」という通知を出しました。
内容:
- 妊娠を計画している女性、または妊娠の可能性がある女性は、妊娠の1ヶ月以上前から妊娠3ヶ月まで、食事からの葉酸摂取に加えて、サプリメント等から400μg/日の葉酸(モノグルタミン酸型)を摂取することが望ましい
- この推奨は、過去に神経管閉鎖障害の子どもを出産した経験がない女性も含む
母子健康手帳への記載
2002年度から、母子健康手帳に葉酸に関する情報が記載されるようになりました。これにより、妊婦健診を受ける女性に対して、葉酸の重要性が周知されるようになりました。
日本の現状
しかし、日本では、諸外国と比べて、葉酸サプリメントの摂取率がまだ低いのが現状です。
| 国 | 葉酸サプリメント摂取率(妊娠前) | 政策 |
|---|---|---|
| アメリカ | 約40-50% | 1998年から小麦粉への葉酸強化を義務化 |
| カナダ | 約40-50% | 1998年から小麦粉への葉酸強化を義務化 |
| イギリス | 約30-40% | 2021年から小麦粉への葉酸強化を決定 |
| 日本 | 約10-20% | 食品への強化は任意(義務化なし) |
日本で摂取率が低い理由として、以下が考えられます。
- 妊娠に気づいてから産婦人科を受診する人が多く、妊娠前からの摂取が少ない
- 「サプリメントに頼らず、食事で栄養を摂る」という考え方が根強い
- 小麦粉などへの葉酸強化が義務化されていない
いつから、どのくらい摂取すればよいか
摂取開始時期
最も重要なのは、「妊娠の1ヶ月以上前から」摂取することです。
理由:
- 神経管の形成は、妊娠4-6週(最終月経の初日から数えて4-6週)に起こる
- 多くの女性は、妊娠5-6週頃に妊娠に気づく(月経が2週間遅れた頃)
- 妊娠に気づいてから葉酸を摂取し始めても、神経管がすでに閉じた後である可能性が高い
- 体内の葉酸レベルを十分に高めるには、数週間かかる
そのため、「妊娠を計画している」または「妊娠の可能性がある」女性は、妊娠する前から、毎日葉酸サプリメントを摂取することが推奨されます。
摂取量
| 時期 | 食事からの葉酸 | サプリメントからの葉酸 (モノグルタミン酸型) |
合計 |
|---|---|---|---|
| 妊娠の1ヶ月以上前 〜妊娠3ヶ月 |
240μg/日 (推奨量) |
400μg/日 | 640μg/日 |
| 妊娠4ヶ月以降 | 480μg/日 (推奨量+240μg) |
継続可能 (必須ではない) |
480μg/日以上 |
摂取期間
神経管閉鎖障害の予防のためには、妊娠3ヶ月(12週)までの摂取が推奨されます。ただし、妊娠中は常に葉酸の需要が高いため、出産まで継続しても問題ありません。
特別なリスク要因
過去に神経管閉鎖障害の子どもを出産した経験がある
過去に神経管閉鎖障害の子どもを出産したことがある女性は、再発のリスクが約10倍高くなります(一般的なリスク:0.1%、再発リスク:約1-3%)。
このような女性には、通常の10倍の高用量葉酸(4-5mg/日)が推奨されることがあります。ただし、高用量の葉酸は、医師の指導の下で摂取すべきです。
抗てんかん薬の服用
バルプロ酸ナトリウム(デパケン)などの抗てんかん薬は、葉酸の代謝を阻害し、神経管閉鎖障害のリスクを高めます。
抗てんかん薬を服用している女性が妊娠を計画する場合は、医師と相談し、薬剤の変更や、高用量葉酸の摂取を検討する必要があります。
肥満
妊娠前のBMI(Body Mass Index)が30以上の肥満女性は、神経管閉鎖障害のリスクが約2倍高くなります。理由は完全には解明されていませんが、葉酸の代謝や利用が低下している可能性が示唆されています。
肥満女性には、通常より多めの葉酸(600-800μg/日)を摂取することが推奨されることがあります。
糖尿病
妊娠前から糖尿病を持っている女性は、神経管閉鎖障害のリスクが約3-5倍高くなります。高血糖が、胚の発達に悪影響を与えるためです。
糖尿病女性が妊娠を計画する場合は、妊娠前から血糖コントロールを厳格に行い、葉酸サプリメントを摂取することが重要です。
よくある質問
妊娠に気づいたのが遅かったのですが、今から葉酸を摂っても意味がないのでしょうか?
神経管閉鎖障害の予防には、妊娠4-6週が最も重要な時期ですが、妊娠に気づいてから葉酸を摂取し始めても、他の効果(貧血予防、胎児の成長促進、低出生体重児のリスク低減など)は期待できます。妊娠中は常に葉酸の需要が高いため、できるだけ早く、適切な量を摂取することが推奨されます。
葉酸サプリメントを飲んでいれば、食事は気にしなくても良いですか?
いいえ。サプリメントは、あくまで「補助」です。食事からバランスよく栄養を摂ることが基本です。葉酸以外にも、タンパク質、鉄、カルシウム、ビタミンB12など、妊娠中に必要な栄養素はたくさんあります。サプリメントだけに頼らず、多様な食品を摂取してください。
男性も葉酸を摂る必要がありますか?
妊娠を計画しているカップルの場合、男性も葉酸を摂取することが推奨されることがあります。葉酸は、精子のDNA合成に必要で、葉酸不足は精子の質の低下や染色体異常のリスクを高める可能性が示唆されています。ただし、男性の葉酸摂取と神経管閉鎖障害の予防効果の関係は、まだ明確には証明されていません。
葉酸を摂取すれば、神経管閉鎖障害は100%予防できますか?
いいえ。葉酸サプリメントは、神経管閉鎖障害のリスクを約70%減少させますが、100%予防できるわけではありません。遺伝的要因、他の栄養素の不足、薬剤、高血糖など、葉酸以外の要因も関わっているためです。ただし、葉酸摂取は、現時点で最も効果的な予防策です。
葉酸サプリメントは、どのような製品を選べば良いですか?
以下の点に注意して選んでください。
- 葉酸の形態:「モノグルタミン酸型」または「プテロイルモノグルタミン酸」と表示されているものを選ぶ
- 含有量:1日あたり400μgの葉酸を摂取できるものを選ぶ
- 他の栄養素:葉酸以外に、鉄、カルシウム、ビタミンB群などが含まれている「妊婦用マルチビタミン」もおすすめ
- 安全性:GMP(Good Manufacturing Practice、適正製造規範)認証を受けた工場で製造されているものを選ぶ
まとめ
神経管閉鎖障害は妊娠4-6週の神経管形成期に葉酸不足で発生し、二分脊椎(下半身麻痺・膀胱腸機能障害・水頭症)や無脳症(脳の大部分未形成で死産または出生後数日で死亡)があります。葉酸はDNAのチミン合成とメチル化に不可欠で、神経管形成期の活発な細胞分裂に大量に必要です。1991年MRC研究で葉酸サプリメント4mg/日が神経管閉鎖障害の再発率を72%減少させることが証明され、その後の研究で通常量400μg/日でも十分な予防効果があることが示されました。
日本では2000年に厚生労働省が妊娠1ヶ月前から妊娠3ヶ月まで食事240μg+サプリメント400μg(合計640μg/日)の摂取を推奨しましたが、日本のサプリメント摂取率は約10-20%と欧米(40-50%)より低く、小麦粉への葉酸強化も義務化されていません。妊娠前からの摂取が重要な理由は、神経管形成が妊娠4-6週で起こり多くの女性が妊娠5-6週頃に気づくため妊娠後では遅く、体内の葉酸レベルを高めるのに数週間かかるためです。過去に神経管閉鎖障害児を出産した女性は再発リスクが約10倍高く高用量葉酸4-5mg/日が推奨され、抗てんかん薬服用者・肥満(BMI≥30)・糖尿病患者もリスクが高くなります。葉酸サプリメントは神経管閉鎖障害リスクを約70%減少させますが100%予防はできず、遺伝的要因や他の栄養素不足も関与します。妊娠に気づいてからの摂取でも貧血予防や胎児成長促進の効果はあり、妊娠中は常に葉酸需要が高いためできるだけ早く適切量を摂取することが推奨されます。
次に読むと理解が深まる記事
- 消化と吸収の仕組み – 栄養素が体内に取り込まれる基本メカニズム
参考文献
- 厚生労働省. 日本人の食事摂取基準(2025年版)
- MRC Vitamin Study Research Group. Prevention of neural tube defects: results of the Medical Research Council Vitamin Study. Lancet, 1991
- 厚生労働省. 神経管閉鎖障害の発症リスク低減のための妊娠可能な年齢の女性等に対する葉酸の摂取に係る適切な情報提供の推進について, 2000
- De-Regil LM, et al. Effects and safety of periconceptional oral folate supplementation for preventing birth defects. Cochrane Database Syst Rev, 2015
